予知・予測、的中率95%の「出口王仁三郎」氏のメッセージ
24年6月18日(火)配信: 宿曜占い|辛口
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新宗教「大本」の二大教祖の一人、出口王仁三郎は、1948年1月19日(満76歳没)にこの世を去り、生前に世界中で起こる数々の予知・予測を的中させてきた人物。
過去にも出口王仁三郎氏の記事をアップしていましたが、今回補足を加えて改めて記載することとしました。これからの大変革時代に生きるすべての人々へ何かしらのヒントになれば幸いです。
出口王仁三郎氏は新宗教「大本」の熱心な信者ではなかったが、神の言葉を伝える預言者として宗教を活用していたと考える。何よりもその的中率の高さが話題となり、現代でも彼の予知・予測は続いている。日露戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦、この戦争の開始から終わりまで全て予知・予測的中、また関東大震災や第19代原敬内閣総理大臣の暗殺も的中している。
当時メディアでも話題となっていたが、戦争の終焉とともに彼の存在は薄くなっていきました。
しかし、出口王仁三郎が生前まで残していた言葉には、現代を含め長期間に渡る予知を残しておりました。
当時の人々からすれば、あまりにも近未来過ぎた話で、まったく理解できなかったと思われるます。
▼以下は一部の例である
「ボタンひとつ押せば、花のお江戸の芝居が見られるようになる」→テレビ
「電話も小さくなり、腕に巻ける」→携帯電話
「時速700キロの弾丸列車が地上に浮いて走るようになる」→リニア中央新幹線
※ これは正に現代日本そのものである。
生前、ある信者が、第2次大戦の空襲のことを指して「本当に火の雨が降って、大本の言う通りになりましたね」と言うと、出口王仁三郎は、「筆先に出ている火の雨いうたら、あんなちょろいもんやない。ほんまに火が天から降ってくるのじゃ」と答えたという。
そして
“世界の人民3分になるぞよ”という開祖はんのお筆先は今後必ず到来するぞ。日本は3分どころか2分より残らん。悪人は1人も残さんと、神様が言われるでなあ」
火の雨が降るというのは、この程度(広島原爆)のことではない。今は序の口で、本舞台はこれからじゃ。
三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下泰平に世を治めて万古末代続く神国の世に致すぞよ。神の申したことは、一分一厘違わんぞよ。毛筋の横幅ほども間違いはないぞよ。これが違うたら、神はこの世に居らんぞよ。
(1) 世の立て替え・立て直しは避けられない。(それは「ミロクの世」へと移るために必要なプロセスである)
(2) しかし、今のままでは人民の多くは「ミロクの世」に進むことができない。とくに日本民族はしっかり「身魂みがき」をする必要がある。
(3) そのことを早くから(明治25年から)出口ナオを通じて伝えているが、人民はなかなか信じない。
(4) このままだと圧倒的多数の人民は救われない(ミロクの世に進めない)可能性が高い。それでは可哀想だから、信じるようにいろいろと教えている。
※ 出口王仁三郎が残した続瑞能神歌には、シベリア方面から外国の軍隊が、突然に攻め入ってくることが記されている。この外国軍は、「北」からやってくる。そして北海道、三陸を通り、なだれの如く押し寄せて、日本列島を占領する。さらに、首都東京には核攻撃もあることがハッキリと示されている。このような大動乱により、日本の人口は3500万人になるという。そして非道な殺戮が、ある一定期間続き、残された因縁の身魂は再び原始の生活に還るとある。続いて世界の立て替えが始まるが、この神歌によれば、空から流星が降ってくるのだという。
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この世をこのままにしておいたなれば、日本は外国に取られてしもうて、世界は泥海になるから、末法の世を縮めて松の世にいたして、
日本神国の行状(おこない)を世界の手本に出して、外国人を従わせて、万古末代動かぬ神の世で、三千世界の陸地(おつち)の上を守護いたして、
神、仏事、人民を安心させてやるぞよ。そこへなるまでに、世界にはもひとつ世の立て替えの大峠があるから、一日も早く改心いたして、
神にすがりて誠の行ないに替えておらんと、今までのような、我さえ善ければ人は転けようが倒れようが見向きもいたさん精神(こころ)でありたら、
神の戒め厳しきから、到底この大峠を越すことはできんぞよ。(明治35年旧3月11日)
世界の人民よ、一日も早く改心なされよ。それについては、日本の人民の改心が第一であるぞよ。日本の人民さえ改心いたせば、世界は良い世になるのじゃぞよ。(明治31年旧11月5日)
めぐり(罪科償却)の出てくるのは、世界はこれからであるぞよ。高いところへ上がりて偉そうにいたしておりた人民、これからは気の毒なことに変わるぞよ。
そこになりてから神に縋(すが)りたとて、聞き済みはないぞよ。(大本神諭・明治35年)
智慧でも学問でも、今度は金積んでもどうにもならんことになるから、そうなりたら神を頼るよりほかに手はなくなるから、そうなりてから「助けてくれ」と申しても間に合わんぞ。(ひふみ神示・下つ巻第16条)
またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、くどう気つけて(=警告して)おくぞ。さあという時になりてからでは間に合わんぞ。用意なされよ。(ひふみ神示・下つ巻第28条)
大峠となりてからでは(事が起きてから)、いくら「改心します」と申しても、「許してくれ」と申しても、許すことはできん。(ひふみ神示・ウメの巻第6条)
大峠の最中になったら、キリキリ舞いして、「助けてくれ」と押し寄せるなれど、その時では間に合わん。逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん。皆おのれの心であるからぞ。今のうちに改心(するのが)結構。(ひふみ神示・碧玉の巻)
真っ只中になりたら、学でも智でも金でもどうにもならんことになるのぢゃ。今は神を見下げて人民が上になっているが、そうなってから神に「助けてくれ」と申しても、時が過ぎているから時の神様がお許しなさらんぞ。(ひふみ神示・ウミの巻第14条)
『続・瑞能神歌』で出口王仁三郎は「北から攻め入る非道さよ」と予知した。これは『日月神示』にも、まるで同じことが示されている。
↓続き↓
地震、雷、火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。
月は赤くなるぞ。日は黒くなるぞ。空は血の色となるぞ。流れも血ぢゃ。人民四ツん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとて、神でも逃れることは出来んぞ。天地まぜまぜとなるのぞ。ひっくり返るのぞ。
三分の一の人民になると、早うから知らせてありたことの実地が始まっているのであるぞ。何もかも三分の一ぢゃ。大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組ぢゃ。
三分むづかしいことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ。堪忍の堪忍、我慢の我慢であるぞ。
無政府状態と生活基盤の崩壊
少しでも食物の用意を致さねば、後で地団駄踏んでも追いつかぬ事になるぞよ。四ツ足の餌の奪(と)り合いが始まりて来るぞよ。
未と申とが腹を減らして惨たらしい酉合いが始まるぞよ。今までの世界の人民の苦しむ大戦争を喜んで、結構な事になりて金銀を積んで高ぶって居りた人民は気の毒ながら、
真っ逆様に地獄のどん底に落ちて苦しむぞよ。(大正7年12月22日)
神は気(け)もない時から知らしておくから、よくこの神示、心にしめて居れよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ。着る物も泣く事あるぞ。いくら買い溜めしても神のゆるさんもの一つも身にはつかんぞ。(昭和19年6月30日)
政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。(昭和20年6月12日)
一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな。米ばかりでないぞ。何もかも、臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ。臣民ばかりでないぞ。神々様さえ今度はなくなる方あるぞ。(昭和20年8月27日)
日に日に厳しくなりて来ると申してありた事始まっているのであるぞ。まだまだ激しくなってどうしたらよいか判らなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る所も着る物も住む家も食う物もなくなる世が迫って来ているのざぞ。(昭和19年12月12日)
広島・長崎の原爆投下を「あんなちょろいもんやない。」という事は、阪神淡路大震災も3.11も比較対象にはならない。
そして何より印象的だったのは「日本の人民さえ改心いたせば」という内容だ。
自然の摂理は驚くほどシンプルである。そして我々も自然の一部であることを忘れてはならない。間違った認識で物事を進めれば、その代償は必ず払う事になる。これは神の世界でなくとも現実世界で十分理解できる話なのかもしれない。
また他の多くの預言者、スピリチュアリストも出口王仁三郎と同様に、世界における日本人の重要性を訴え続けており、本などの文を一部抜粋すると「日本人は高次元の存在であり、日本は世界にとっての雛形。世界が正しい方向へシフトするには、日本が重要。」と示している。
そして出口王仁三郎も「日本の人民さえ改心いたせば、世界は良い世になるのじゃぞよ。」と同様のメッセージを伝えており、それは今、愚かな状態にあるという。
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人類最古の文明はメソポタミア文明と言われているが、近年、それよりも前にシュメールという文明がある事がわかり、学者の中でも多くの謎を含んだ文明である。不思議な事に、そのシュメール文明の起源は日本である事が有力説として上げられている。その理由としてシュメール語は日本語と似た点が多く、遺跡などでは「菊の紋章」が見られ、また日本の西側ではシュメールに関連した多くの遺跡も発見されている。
日本の人民の改心について、私の個人的な意見を述べさせていただければ、日本の中心・原点はやはり皇帝(天皇両陛下)であると思います。その原点を見つめる事がこれからの時代を生きるヒントがあるのではないかと感じております。長文お読みいただきありがとうございました。